来年家を出たらあとは死ぬまで弟には会いたく無いと思っている。

きょうだいは世話をする義務なんてないんだから別に責められることじゃないでしょ?

それでとりあえずの平穏を勝ち取ったところで数十年後やってくる問題がある。

金だ。

行政の援助を使えばいい?その基準には満たない人はどうすればいい?

基準に満たない=弟に十分な収入があるから大丈夫、じゃないんだけど。

最重度でもないから悩むなとか思われるかもしれないけど、最重度ではないからいつも支援からこぼれるんだろうなって状況を私は1番見てきた。おそらく全ては知らないけど親や弟をそばで見てきて、そうなんだろうなと感じ取ってきた。

別に弟に浪費ぐせはないし、将来を見越して金の管理とかは身につけさせてるらしいが、かなりギリギリな状況で生きていくことなんて容易に想像がつく。

親も亡くなって、行政の援助を当てにできない、そして収入はギリギリ、それで困窮したら最後あてにされるの私なんだけど。

そんな嫌いなら出て行けよとすぐに言う人のの一部は、ウン十年後の金の話までわかってるのかな?(わかってる人もいるんだろうけど)

出て行っても続くしがらみがあるんだよ。金とか。

私は金の問題からも逃げたいならもはや海外に行くしか道がないわけ?

将来困っても一銭も渡したくない。

だから、弟のことは嫌いだが、将来経済的に困らないことを望んでいる。弟がかなり困ってあてにされるのはこっちだから、困らないことを心から望む。でもあの収入じゃ将来困窮する可能性がゼロではない。バカでも簡単に想像がつくわ。あの数字を見たら。

行政の支援も受けられない基準でうるさくこっちに言われるくらいなら、高い給料もらえる仕事に就いて金くらいは黙って何かあったら渡した方がいいのかなとも思ってしまう。

一切面倒見ない代わりに金くらいは渡すのが筋なの?「家を出ろ」という一部の人は、「本当に飢えるくらい困ったら金くらいは渡すんでしょ?姉だから」くらいに思ってるの?

一切面倒見ずに困ったとき金も渡さないのはまたまた人でなしとか思われるの?別にどう見られてもいいけど。

障害者である弟に手を貸さないなんてまた卑怯だと思われるの?離れたら離れたで周りは「金くらい」とか言いはじめそう。姉にだけそれを求めんなよ、離れたらもう何もしないから。

私がどうしても手を貸さなきゃいけない状況もあると思う。病気とか。

だけど、金ごときで手を貸したくない。私にも私の生活がある。弟に簡単に金を融通できるほど高給取りになる保証なんて私もない。

健常者同士のきょうだいはこんな金の心配しないでしょ、どちらかが困って金を一時的に融通するとかはどこかの家庭では起きているんだろうけど。

またまた起こってもないことを不安に思うなとか言うの?
親亡き後に初めて金の問題を考えて苦しむのはこっちなんだけど。その時じゃ遅い。

カウンセリング云々より、金の問題をどうにかする道筋が見えたら私の悩みの2割は消えて落ち着きを取り戻すことができる。結局「障害者の弟と手を取り合い仲良く生きて行きます」をゴールとしてなされるカウンセリングやケアなんていらないから、それよりも一生嫌いなままでかつ一生会わず、私も一銭も出さなくて良い状況を早く教えてほしい、行政も頼れないけど自分も金を出したくない時どうすればいいか障害や福祉に関わる専門家の方々に教えてほしい。「障害者の兄弟がいてよかったこともあるよ」などと言った心の捉え方を変えるのはどうでもいい。また、「障害を障害たらしめる社会をどうにかする」とかも確かにそうだけどそんなこと言うよりとりあえず明日の金の問題(我が家は親がまだ健在だが、いずれ明日の金の話になる)をどうにかしたい。もっと具体的な打開策や回避策または解決策だけがほしい。遺伝の話に打開策なんてないからこれからも恐れていくのだろうが(子供を産んで障害者だったら周りから責められるのは相手じゃなく障害者のきょうだいである私だし)、金はそれとは違ってどうにかする道が残っている。といっても行政の援助は使えないけど。

私にとって障害者の弟がいることは誰にも言えない恥ずべきことで、得したことなんて一つもない。だから何度も言うけど「障害者みんな嫌」じゃなくて「障害者である弟と家族でいるのが嫌で憎くて耐えられない」のだ。

「障害者みんながめんどくさい」んじゃない。「家族にいるとめんどくさい」と私は思う。めんどくさい健常者もめんどくさくない障害者もその逆も色々いる。私も家族に障害者がいなければ、「差別だめだよ!みんな仲良く!」とか何も考えずに言えた。家族に障害者がいるとめんどくさいし、耐えられないし、きょうだいである私の権利はないし、正論もするっと言えず「差別はもちろんだめだが、あなた達は汚い面一つも見ないじゃんそれで福祉語って大丈夫?」と考えてしまうのだ。

親もさ、きょうだい児を語るのやめてよ。きょうだい児と関わるのをやめて、ってことじゃない。「つらいこともありながら、頑張ってくれて優しい子に育つ」なんてまとめないでよ。私が親のしんどさを全て分からないのと同じで、親はきょうだいという関係を完全に理解はできないんだから「いい子に育つ」なんて言わないで。
私の最寄りのきょうだい会は親も来るから本音なんて話せないよ。「きょうだい児の育児もちゃんとやってます」系の中には最終的に「きょうだい仲良くお世話する」を望む奴もいる。私は知ってる。

障害者のきょうだいがいることは恥ずかしいことじゃないんだから隠すな!という親や第三者もいるけど、それ、ちゃんと考えて言ってる?

親はさ、産んだんだからそりゃあかわいいだろう。私は産んでない。第三者もさ、あなたが同じ立場だったらきょうだいが障害者であることを言えるの?すごいですね。きょうだいが障害者と言ったらからかわれたりお世話係にされるのにそれでも言うってよっぽど徳の高い人間なのでしょうね、だから私にそうやって注意するんでしょうね。

弟が健常者だったら…と考えると止まらない。そっちの方が良かったに決まってる。面倒なことが起きない。健常者のきょうだいが欲しかった。今より不仲で殴りあいの喧嘩をする仲でもなんでもいいからとにかく健常者が欲しかった。障害者のきょうだいがいるからこそ、自分は健常者の子供が絶対欲しい。誰が何と言おうと、差別だ!と批判されようと私は健常者の子供が欲しい。


親のせいなんだからこんなに怒るなと言う人。どこ見てそんな短絡的な結論を出してるの?この気持ちは親が原因じゃなくて「障害者である弟の存在」が原因だ。親のせいにするのは良くて、障害者のせいにするのはいけないの?またあれ?「障害者にそんなこと言っちゃいけません」っていう免罪符のような言葉を出して来るの?そっちの非論理的な考えの方がよくわからない。障害者のきょうだいのせいにするのも、親のせいにするのもどちらも他人のせいにしてるし同じじゃん。

「障害者を嫌う人と結婚したいの?」とか言う人々に質問したいけど、「じゃあ私はもし結婚するとき誰と結婚すればいいの?」障害者のきょうだいがいたら嫌がる人が大多数なんだから、そんな人を避けたら私結婚する人いないじゃん。やっぱり障害者である弟がここでも邪魔じゃん。これでも親のせいとか言うってどんな思考回路でその結論にたどり着いたの?
あと、「障害者のきょうだいがいて無理です」と言われて、それ障害者である弟が原因じゃないなら誰が原因なの?もっと考えれば?頭使いなよ。

私にとって障害者の弟は「支え」なんかじゃない。邪魔で私の将来の結婚の支障になる厄介なもので、醜く憎いそれがきょうだいだ。

障害者のきょうだいじゃなければこんなこと思わなかったのにね。これはきょうだい児の総意じゃないけど、私は弟が健常者ならばあともうちょっと弟を思いやったよ。今の「障害者なんだから思いやりなさい」は本当に訳わからない。

物心つく前から障害者が隣にいてさ、正直もう疲れたんだよね。一生関わりたくないんだよ。自分の子供も障害者だったら自分が自殺してしまう。
そして「離れれば済む話」って何なの?上にも書いたように離れても済まないんだけど?離れて解決するのはひと時だから。

私のことを怒る人、そんなに私のことが嫌いならその人に弟を押し付けたいな。お世話できるからそんなこと言うんでしょ?押し付けても嫌な顔しないでね。世話してよ。

障害者のきょうだいっていう身分が苦痛。弟死ねとか言ったら「障害者になんてこと言うの!」(相手が健常者ならさ、褒められはしないけど「まぁまぁ何言ってんの、うるさい」くらいで終わるのにね。逆に差別じゃん?)って言われるんだからじゃあ一層自分が消えたいわ。

私がきょうだい死ねって言って怒られるくらい、健常者のきょうだいにももっと怒ったらいいじゃん。それか健常者のきょうだいが怒られるくらいの基準で私を怒れば良いじゃん。(もちろん周りの親できちんと怒る人はいるよ?だけど私が言われる「姉として失格!」「人間じゃない!」「鬼!」までは言われないよ。)

なんか見てるとどうしても親が悪いと言う話にさせたい人がいるらしいけど私は親が悪いとは思わない。
障害者である弟の存在が悪い。
違うの?違くないよ。

施設に入れるくらい重度だったらこんな思いはしなかったのかな。

ほんとさ、弟今すぐに健常者にならないかな。(とか言ったらまた「障害者になんてこと言うの」って言われるんでしょ?)

解放はない

解放なんてないから。
悩みを然るべき場所で然るべき人に吐き出しても将来障害者の弟が邪魔になって振られる現実は変わらない。

悩みを話したところで、もし結婚するとなったら敬遠される事実は変わらないから。

相談してもしその人が優しくてそんなことないよとか言ってくれても実際起こることだから。

きれいなものしか見てこなかった人に将来の破談とかの話をしてもピンと来ない。

「そんなことないよ」って言ってくれる人ももし自分の好きな相手のきょうだいに障害者がいてもサラッと受け入れるの?そうじゃない人も絶対にいる。自分に置き換えたとき受け入れられないんだったら「きっと大丈夫、受け入れてくれる人はいる」なんて言わないでよ。

然るべき場所で相談しても変えられるのは捉え方だけでしょ?今までも周りの大人に言われた「弟のことで躊躇するくらいなら付き合わない方が幸せ」とかまた言われて勝手にわたしの幸せを決められるだけだから。

この問題の捉え方を変えただけで満足するなら簡単だよね。

なんていうんだろう。弟のことで戸惑う人と
いて幸せか不幸か決めるのはわたしなんだよ。結局不幸って結論になるかもしれないけどそれを決めるのは自分だ。なのに障害者がきょうだいにいるとなんで他人がわたしの幸不幸を決めるの?

実際に破談は起こるから。起きてるよ。

だから邪魔なんだよ。迷惑にならないなら別にいいけど将来邪魔で迷惑になるじゃん。いなければこんなことなかったのにね

本当にもし「障害者の弟がいるの無理なんでごめんなさい」って将来破談になったらそれ立派に他者に私を侵害されていることになるんですが、きれいなことばかり見てきたそれについてどう思うんですかね?「障害者がきょうだいなんだから」それもぐっと飲み込みなさいとか言うつもりですか?勝手だな。

信頼できる他者なんてほとんどいない、専門家だって結局「障害者の弟と共に歩む」ことをゴールに持ってくるんだから、なおさら信用できない。信じられるのは自分だけ。

寄り添って聞きますとかいうプロも障害者と物心つくまえから過ごしても同じことを言えるんですか?同じこと言えるなら本当に神様のような人なんですね。まさか、同じこと言う自信がないのに「大丈夫だよ」なんで言おうとしてるんですか?

大学生になったら、なっても

弟のことは隠し続けるんだろうなあ。

だって、「障害者の弟がいる」と話しても話してもロクなことないから。

卒業までまた隠し通すことに神経を使わなきゃいけない。

これまでずっと障害者の弟はいないと演じる不自由を選ぶことで私はどんな子とも付き合える自由を勝ち取って来た。

そして障害に理解のない、親や周りから見たら「悪い子」と友達になると「あんな子と友達にならなくていいんだから」と勝手に制限してくる。小学生の頃「障害者キモい」とか口に出してしまったやんちゃなクラスメイトが悪い子に見えて私のことはどう見てるんですかね?私も弟に対して優しくしてないし悪い子じゃないの?
それをこれまで経験してきた。そしてこれからはそれを恋愛において経験するのだろう。

書き続ける

誰も見なくてもここに書く。


私は書く。


障害者のきょうだいがいたら嫌いとか表に出してはいけないから心にしまうなんて出来ないし、ここに書く。


障害者のきょうだいがいてその子が大声で叫んで私が「うるさい」と言ったら悪いのは私になるからね。今なら障害だからしょうがないもわかるけどそれを幼稚園の頃から求められるんだからこっちはどれだけ広くて神様のような心を持っていなきゃいけないのだろうか。


わたしのことを快く思わないあなた方はもし障害者のきょうだいがいたら24時間365日神様のようにいられるの?


いくらうるさくされても、幼稚園の頃から「仕方ないね」で済ませることができるならさぞ成熟した人だから私を怒るんでしょうね。すごいですね。


家族である弟に遠慮なくうるさいということすら憚られる。


「障害者だから」で悪者になるのはいつもこっちだ。


健常者のきょうだいだったら「うるさい」「ウザい」「嫌い」「消えろ」がアリなのに相手が障害者ならニコニコ仲良くしなきゃいけない。それを求めるあなたは仲良く出来るの?


別に他人や社会に何も求めてない。


話を聞いてくれた、聞いてくれる、ネット上の人には本当に感謝はしてます。顔も知らないけど本当に本当に繋がっていて安心します。



家族に求めることもない。(強いて言うなら弟を家族じゃない他人にして欲しいけど物理的&生物的に無理)


というか親も親できょうだい児のことを気にかけても最終ゴールを「きょうだいで支え合い、共に生きる」だと思ってるんだろうけどわたしの中のゴールは「互いに関わらない、弟も私の迷惑になることをしない、わたしも弟の迷惑になることをしない」だから歩み寄れる気も一切しない。


親とは見てるものが違うから。こっちは勝手にきょうだいになってて繋がりが一生だから。


「障害者やその家族への差別が未だ残る社会を変えましょう!」なんて全く思わない。


無理だよ、そんなの。


ていうか「きれいなもの」ばかり見てきた又は見せてきた社会に対して「私とともに変わりましょう!変えましょう!」と叫ぶ労力は無駄だ。


法律や制度で外から見たら解決するかもしれないけど、個人に焦点を当てたら偏見はあると思う。絶対消えない。

 

自分は障害者である弟が嫌いだが、でも弟が第三者に差別されて悲しく思ったことも昔はあった。


弟のことを考える時だけいつも、私の中にはいつも二つの気持ちがある。


「家族まで」含めて偏見が無くなる日は来ないよ。


私は自分のためだけにここに書く。

0番目の夢

最近はこれまでで1番勉強を頑張っている。


一つだけ絶対学びたいことがあって、絶対それに関する職業に就きたくて、だから頑張ってる。


ブログ書くことなんて5分しか掛からないし、支障なんかにならない。


朝に勉強の大部分を持ってきたり、夜にやってみたり試行錯誤して、ようやくペースをつかめた。


私には朝の勉強が向いているらしいから、自分の祖母のように早起きして午前中で1日が終わると思いながら勉強している。


分からなさすぎて大変だった英語も分かるようになってきて、「こんなに簡単な仕組みだったのか!」と初めて楽しく思っている。


でも、やるべきことが終わって、ホッとしている時にまた思う。(この時間は私にとってホッとする時間だ)


「やりたいこと」が叶えられてもあの憎い障害者の弟が消えること、または家族じゃなくなることは叶わないんだとただ残念に思う。


なんでこんなに頑張っているのかたまにわからなくなる。


いやもちろん勉強頑張ったらこの問題が解決するなんて思ってもないけど。


やりたいことに向かって頑張っても私は障害者の姉だ。それが嫌だ。いくら夢を叶えても障害者の姉だ。


やりたいことに向かって努力しても、距離を取るためにそれこそ日本を出て行っても、弟との問題はついてくる。


障害者の姉じゃなくなることが、もしかしたらやりたいことより上にある0番目の夢かもしれない。だから早く消えて欲しい。


「障害者の弟がいなくてもまた違う不安や悩みが襲ってくるかもしれない」と言われたことがある。私にとってはそっちのほうがいい。その違う不安や悩みは自分で立ち向かうことができるものだ。そっちの方が幸せだ。


だから本当に弟の存在が憎たらしい。弟消えろなんて言ったらダメだし殺したらこっちが100パーセント悪人になってしまうから、(こんなブログ書いてる時点で割と悪人だけど)、じゃあとりあえず私を「障害者の姉」じゃなくてただの人にしてくれない?絶対に叶わないけど。


家族のこと言わないのなら、私を私として見てくれる人なんてかなりいる。友人とか。

家族のこと言った瞬間に私はいつでもどこでもこれまでもこれからも私ではなく障害者の姉になる。


綺麗事だらけの人ももしあなたの知人が私だとして、私が「障害者の弟がいます」と言ったらそんな目でみるんでしょ?


とにかく弟が邪魔。


障害者の弟がいなければこんなことなかったのにと18になってもこんな幼いことを思うのだからこれからだって思ってしまうのだろうと思う。これからなんてむしろその不安が実際に起こる段階なのだから、憎しみは増すのか。60になっても思っているのだろうか。


障害者の弟がいるとロクなことがない

もちろん毎日こんなことだけを考えているのではなく、勉強したり、趣味のことをしたり、友人と話したり、悩むにしても違う悩みで時間を費やす。


悩みの話。


悩みが一つもない人もたくさんある人も色々いると思う。


私はこのこと以外にも悩みはある。


例えば成績とか。見た目とか。


でも成績の悩みは勉強したらどうにかなるよね?それが報われるかはわからない。報われない可能性もある。でも自分の事の悩みでどうにかすることができる選択肢を自分が持っている。


私が好きなスポーツだってそうだ。練習すればどうにかなることがある。練習しても成長しないときももちろんある。

見た目とかも同じだ。中身も外見も「自分のことだから」磨くことができる。


障害者の弟がいる、以外の悩みには私が全部1人でどうにかする選択肢がある。


でも障害者が家族にいることは、中身や外見と違い私のことじゃない。


なのに不利益を被るのは何千回と考えても許せない。弟いなきゃこんなこと考えなくていいのにと思う。


障害者の弟がいることも他の悩みのようにどうにかできるなら今すぐ家族じゃない赤の他人にしてしまいたい。家族としてはいらない。不利益しかないから。

同世代と遺伝

同世代と話すとみんな当たり前のように健常者が産まれてくると思ってる。(前も書いたが親もそうだったらしい。障害者が産まれる確率も誰にだってあるけどまさか自分がと思っていたらしい)


私も当たり前に周りのように10代の今は「健常者が産まれる」ことだけを想定して将来の話をしたかった。それが正しくなくてもそんな話をしたかった。私の親もそうだったんでしょ?


もし、10年後に私が子供を産んでその子が障害者だったとする。百歩譲って私がきょうだい児でなければ産んだことに嫌悪感や罪悪感を持たない。だって、そこからの半生の話だから。そしてくじというか運というか今のところよくわからない問題でもう受け入れるしかないから。しかも自分は親だから。障害者=可哀想は違うことも知っているから、どうにかなるんだろうなとも思う。


でも、今の私はきょうだい児だ。その私か障害者を産んだら障害者との付き合い、しかも血縁関係という望んでもない関係が一生続く。それは耐えられない。嫌だ。無理。きょうだい児だからこそ遺伝したら受け入れられない。


「あなた(私)だって障害者になるかもしれないから」ってすごくわかるけど、だからってこの気持ちを飲みこまなきゃいけないの?理由になってないよね?私は一生障害者の弟と家族なのは嫌だ。無理だ。私が病気や事故で障害者になるかどうかの話とこれは関係ないと思うのだけど。


この血が嫌。顔のパーツが弟と似てるねと指摘された時も私は身震いした。同じ血が流れてるんだ…なんで?望んでもないのに、と。


血縁関係に障害者がいたとしてもそれで不利益を被らない社会なら別にどうでもいい。そうじゃないから、怒り、憎しみ、不安が襲う。


家族に障害者がいると差別される社会じゃん。違うの?


家族に障害者がいたら、それを話せば、「あの子は障害者の姉だから…」って目で見られて将来は破談のリスクと付き合わなきゃいけない。


一生の付き合いはやっぱり嫌だ。この鎖は切れないけど毎日毎日引きちぎりたい気持ちでいっぱいだ。


幼少期から障害者の弟と同じ空間で過ごしてきたからこそ健常者のきょうだいに対しての憧れがすごくある。だからこそ、遺伝も気になる。