憧れ

この嵐のような怒りは何なのだろうと私だってよく考える。


親に対して?親は毒親ではないのでそこまでの憎しみは感じない。少しはあるが親に対する醜い気持ちなんて誰だって抱えるのではないか。私はここまで育ててくれて、自分を愛してくれて感謝している気持ちが8割ある。残り2割は、私が早く「オトナ」にならざるを得なかったあの頃にもう少し思いを馳せて欲しかったという感情だ。

では、障害者である弟に対して?そんな気もする。その存在のせいで色々将来を不安に思う。「私の代わりに障害を抱えたのがそのきょうだい」なんていう親たちの間でよく聞くあの言葉も気持ち悪くて意味がわからず、その言葉で弟の存在を邪魔に思う気持ちはさらに強まる。でも弟に対してだとは何だか言い切れない。


きっとこの怒りは憧れなんだと思う。健常者に対する。

私は健常者と分類される者だ。だから、障害を持つ方より不利益を被る機会は少なかった。誰でも生きやすい世界には程遠い、健常者が最も生きやすい世界(そうデザインされているところがまだ多いと感じる)で私はのうのうと生活してきた。声をあげなくても大丈夫なくらい、楽に生きてきた。正直言うと、障害者や他のマイノリティの痛みを分かろうともせずに学生生活を送っていたのかもしれない。

障害者のきょうだいがいることを周りに話したら今までとは違う視線を浴びせられる。こんな状況を幼い頃私は見た。私はいつだって自分が大切だから、そんな状況に陥りたくなかった。だから隠し続けた。少しだけそんな自分が後ろめたかった。

健常者でありながら、私も静かな差別を受けるかもしれないのかと悲しくなった。そんな自分は弟だけを差別している。なんて卑怯なのか。結婚もそうだ。実際は分からない。スルッと結婚するかもしれないし、結婚せずに幸せな生活を送っているかもしれない。でも今から、「色々と周りよりハードルがあるのだろう」と暗く重い覚悟をしながら生きていくのが辛い。「他人」が原因になるかもしれないのは辛い。家族のことは自分ごとなのか?そこまで背負う気は無い。家族に障害があるなし関係なく、私は私を背負うので精一杯。

憧れる、障害者と無縁な生活に。せめて障害者と関係がある生活だとしても、親になってからの半生が良かった。3歳からって、長すぎだ。ほとんど一生。