どこに言えばいい?

親に言ったら悲しんだ。当たり前だ。親は大変だ。第三者は『親は障害のある自分の子も健常の自分の子も分け隔てなく可愛がろう』と言うけどとてつもなく大変だと思う。親もかなり努力をしていた。だけど手を掛ける時間に差は生じた。私は親を責められない。愛してくれているとは思うので不満はない。親は完璧でいる必要はない。完璧な親なんていないだろう。完璧ではないけど、私は親のことを誇りに思う。この人の子供で良かったと思う。

なんとなく話は通じるのだから弟を罵倒すればいいのか。罵倒しようかなとなんども思ったよ。親がいない時にやればいいから簡単なことだ。だけどそれは違う。醜い感情を持つのにそんなことでは解決しないことも知っている。むしろ弟にこの話をしたら弟もさらに苦しむし、私ももっと苦しくなって嫌になる。他人を傷つけることは許されない。障害者だからとかじゃなく、健常者が相手だろうと誰だろうと他人を傷つけたら犯罪だ。

友達にも言えない。言って良い話ではない。あなたの周りにそんな人はいないかもしれないけど、こっちは障害者の弟がいるなんて言ったらドン引きする人やドン引きでなくても「障害者と暮らしてるなんてかわいそう」と言った目で見てくる。私も弟もかわいそうじゃない。カミングアウトしたときのそんな態度が嫌で嫌で、友達には弟の存在すら言えない。卑怯に見えるのか。私は私の生活を守りたい。

カウンセリングに行こうと思ったこともある。こんな自分が嫌いだから治せるなら今すぐに治したい。薬飲んで治るなら早く飲みたい。だけどこれは自分の考えの話だからもちろん薬はない。でも一番それに近いカウンセリングに行こうと何度も考えた。貯金からお金を捻出して本当に行こうと考えた。しかしカウンセリングしたところで社会は変わるの?この気持ちは消えるの?一度、カウンセラーではないが障害に関する仕事をしている、側から見たら「理解のある方」となる人に話したらドン引きされた。
どこでも私は悪者になる。悪魔のような感情を持っている。そんなの自分だって知っている。こんな思いを持つ自分が嫌いって誰よりも感じている。
最後の砦はSNSか。しかし、SNSには最大の欠点がある。匿名であるが、本当に様々な立場の人がいるので一番多くの人を傷つける手段だ。だけど、ほかに何がある?きょうだい児だけが思いを述べられるSNSサービスが幸運にも数日前に出来た。すごくすごく嬉しい。でもきょうだい児だけと話して社会は変わる?存在すら知られないままだ。同じ立場の者同士話すことは大切だが、それ以上の対話がしたいと私は思う。こんなひどいやつと対話したくないと障害者や親は思うのか。そう思ったのなら申し訳ない。

最後の砦であるSNSを、障害者も親も誰も傷つけず、でも自分に嘘もつかずに活用するのが一番なのだ。自分の気持ちに嘘をついて発信したらもうほかに場所がない。でも自分の気持ちは誰かに言ったら、傷つけるものだとわかっている。あんな文章さらさら躊躇なく書いてはいない。書いては消して書いては消して、最後まで戸惑いながら思い留まる気持ちもありながら、「公開する」を押すとき自分は大勢を傷つける悪者だと自覚して涙が出た。「死ね」みたいな言葉を並べてアクセス数が欲しかったわけじゃない。アクセス数がゼロでも、傷つけない書き方があるならそっちを選ぶ。
憎悪の感情と、きょうだいとしての愛する感情が毎日毎日闘う。365日死んでくれなんて思っていない。ドラマについて仲良く話したり趣味の話もする。その時は心から笑ってるがふと思う。友達と話してるみたいな気分になって楽しい。「死んでくれ、と思った自分が今こんなに弟と笑ってていいの?」と。

きっとこんなのは傷つけた言い訳に過ぎない。これを読んで傷ついた障害者、親。きょうだい児の中にも傷ついた方はいるかもしれない。謝って済むことじゃないし、謝っても足りないけど…ごめんなさい。本当にごめんなさい。私は心の奥底からあなたたち全員が生きることを否定はしていない。障害者も悪くないし親も悪くない。誰にも責任なんてない。どの立場も、どう幸せに生きるかで精一杯だと私は感じている。

弟のことも大切にできる自分だったらよかったのだけどあいにくそこまで「良い」人じゃない。自分を大切にするので精一杯。
結婚が難しい現実を10代から突きつけられたら、頭がおかしくなる。自分のことじゃないのに。結婚の話ばかりしていて結婚願望の塊かと思われるかもしれないがそうではない。結婚が幸せかなんてわからないが、将来の選択肢が既に一つ失われていると思うと絶望する。まだ見ぬ相手にいつか振られることを考えて、恐れて、生きなきゃいけない。
障害者が今の社会の制度のせいで辛さや苦しみを抱えていることはわかる。まだ社会の理解や体制は十分じゃない。
一方私は健常者なのに、身体は元気なのに、結婚や将来のことばかりくよくよ考えて贅沢すぎるのか。でも私は苦しい。比べて欲しくない。障害者もひどく苦しんでる。私もひどく苦しんでる。
私がこのブログを書くことは誰かを傷つけることと同義だ。罪悪感まみれ。
最近は1日に数本書いているが、このブログを更新すればするほどきっと心に傷を負う人が増える。だから、あといくつか自分の気持ちに嘘をつかずに書いたら更新の頻度を下げる思う。
そして、社会での認知が高まった日にはこのブログは消す。こんなひどい言葉を並べたブログは毒だから、その日が来たら消す。

障害と無縁な人が少しでいいからきょうだい児の存在について知ってくれることを願う。私というひどいきょうだい児を知ってほしいのではない。きょうだい児という仲良くやってる人も、苦しんでいる人もいる、様々な人に使われる名称や存在を知ってほしい。

そして、考えて欲しい。あなたは恋人のきょうだいが障害者だったら躊躇しませんか。躊躇するのだったらニコニコ差別反対などと言わないで。躊躇する人を責める気は更々ないけど。