解放はない

解放なんてないから。
悩みを然るべき場所で然るべき人に吐き出しても将来障害者の弟が邪魔になって振られる現実は変わらない。

悩みを話したところで、もし結婚するとなったら敬遠される事実は変わらないから。

相談してもしその人が優しくてそんなことないよとか言ってくれても実際起こることだから。

きれいなものしか見てこなかった人に将来の破談とかの話をしてもピンと来ない。

「そんなことないよ」って言ってくれる人ももし自分の好きな相手のきょうだいに障害者がいてもサラッと受け入れるの?そうじゃない人も絶対にいる。自分に置き換えたとき受け入れられないんだったら「きっと大丈夫、受け入れてくれる人はいる」なんて言わないでよ。

然るべき場所で相談しても変えられるのは捉え方だけでしょ?今までも周りの大人に言われた「弟のことで躊躇するくらいなら付き合わない方が幸せ」とかまた言われて勝手にわたしの幸せを決められるだけだから。

この問題の捉え方を変えただけで満足するなら簡単だよね。

なんていうんだろう。弟のことで戸惑う人と
いて幸せか不幸か決めるのはわたしなんだよ。結局不幸って結論になるかもしれないけどそれを決めるのは自分だ。なのに障害者がきょうだいにいるとなんで他人がわたしの幸不幸を決めるの?

実際に破談は起こるから。起きてるよ。

だから邪魔なんだよ。迷惑にならないなら別にいいけど将来邪魔で迷惑になるじゃん。いなければこんなことなかったのにね

本当にもし「障害者の弟がいるの無理なんでごめんなさい」って将来破談になったらそれ立派に他者に私を侵害されていることになるんですが、きれいなことばかり見てきたそれについてどう思うんですかね?「障害者がきょうだいなんだから」それもぐっと飲み込みなさいとか言うつもりですか?勝手だな。

信頼できる他者なんてほとんどいない、専門家だって結局「障害者の弟と共に歩む」ことをゴールに持ってくるんだから、なおさら信用できない。信じられるのは自分だけ。

寄り添って聞きますとかいうプロも障害者と物心つくまえから過ごしても同じことを言えるんですか?同じこと言えるなら本当に神様のような人なんですね。まさか、同じこと言う自信がないのに「大丈夫だよ」なんで言おうとしてるんですか?